最高裁判所第三小法廷 平成元年(オ)1468号 判決 1993年1月19日
上告人
小林今朝丸
右訴訟代理人弁護士
城田冨雄
被上告人
静清信用金庫
右代表者代表理事
村上安男
主文
本件上告を棄却する。
上告費用は上告人の負担とする。
理由
上告代理人城田冨雄の上告理由第一点について
上告人の本訴請求は、原判示の各保証債権が根抵当権の被担保債権に含まれないことの確認を求めるという実体法上の権利関係の存否確認の請求であるから、所論競売開始決定に関する更正決定の効力の有無は、右請求の当否とは関わりがない。論旨は、本件の結論に影響しない事項について原審の判断の違法をいうものにすぎず、採用することができない。
同第二点について
被担保債権の範囲を「信用金庫取引による債権」として設定された根抵当権の被担保債権には、信用金庫の根抵当債務者に対する保証債権も含まれるものと解するのが相当である。けだし、信用金庫取引とは、一般に、法定された信用金庫の業務に関する取引を意味するもので、根抵当権設定契約において合意された「信用金庫取引」の意味をこれと異なる趣旨に解すべき理由はなく、信用金庫と根抵当債務者との間の取引により生じた債権は、当該取引が信用金庫の業務に関連してされたものと認められる限り、すべて当該根抵当権によって担保されるというべきところ、信用金庫が債権者として根抵当債務者と保証契約を締結することは、信用金庫法五三条三項に規定する「当該業務に付随する……その他の業務」に当たるものと解され、他に、信用金庫の保証債権を根抵当権の被担保債権から除外しなければならない格別の理由も認められないからである。
原審は、根抵当権設定契約において合意された「信用金庫取引」の範囲は、信用金庫の行う与信取引又は信用金庫と取引先(根抵当債務者)との間で交わされた信用金庫取引約定書の適用範囲に限定されるとの前提に立った上、信用金庫を債権者とし取引先を保証人とする保証契約は、信用金庫の取引先に対する与信行為に準ずるものとして信用金庫取引約定書の適用範囲に含まれると一般に解釈され、当該取引界における商慣習として定着していると判示し、このことを理由に、本件根抵当権の被担保債権には原判示の保証債権も含まれると判断しているところ、根抵当権の被担保債権の範囲を画する「信用金庫取引」の意味は前述のとおりであって、これを信用金庫の行う与信取引に限定すべき根拠は見出し難く、また、被担保債権の範囲を画するのは、根抵当権設定契約であって、信用金庫取引約定書ではない(民法三九八条ノ二第二項所定の「一定ノ種類ノ取引」は、被担保債権の具体的範囲を画すべき基準として第三者に対する関係においても明確であることを要するから、根抵当権設定契約において具体的に特定された「取引」の範囲が、当事者の自由に定め得る別個の契約の適用範囲によって左右されるべきいわれはない)から、この点に関する原判決の理由説示は適切を欠くが、その結論は正当として是認することができる。論旨は、独自の見解に立って原判決を論難するか、又は原判決の結論に影響のない事項についての違法をいうに帰し、採用することができない。
よって、民訴法四〇一条、九五条、八九条に従い、裁判官全員一致の意見で、主文のとおり判決する。
(裁判長裁判官可部恒雄 裁判官坂上壽夫 裁判官貞家克己 裁判官園部逸夫 裁判官佐藤庄市郎)
上告代理人城田冨雄の上告理由
第一点<省略>
第二点。民法第三九八条ノ二の解釈判断を誤っている違法がある。
この点については、原判決理由三、の記述に従いその論証をする。
1.の記述はそのとおりである。
しかし上告人が第一審以来一貫して主張しているのは、民法第三九八条の二第二項の被担保債権の範囲としての特定は、(イ)特定の継続的取引契約、(ロ)一定の種類の取引に因りて生ずるものに限定して定めるとされていて、本件根抵当権設定契約における「信用金庫取引による債権」は右(ロ)の方法による特定を定めたものであり、「本件信用金庫取引契約」は、(イ)の方法による特定を定めた場合に問疑されるものであって、本件根抵当権の被担保債権資格の判定には本来無縁のものである。
2.の所説について
(一)前記(ロ)の特定方法による表現として「信用金庫取引」とされることは一般的に承認され、その旨の登記が受理されていることは争いの余地はない。問題は、「信用金庫取引ニヨリテ生ズルモノ」の範囲である。
イ、それが「債務者トノ」取引を意味することは法文解釈上明らかである。
ロ、法文は、「担保スベキ不特定ノ債権範囲」とするから、右の「取引」とは信用金庫の抵当設定者=債務者に対する与信取引でなければならない。
上告人が昭和五四年三月三〇日ナニワ理建と被上告人との間の取引により生じた債務につき保証する旨の契約をしたことは所説のとおりであるが、これによる保証債務はいかなる意味においても被上告人=担保権者と上告人との与信取引に基き発生したものとは解し得ない。一般に「取引」とは、本件の如くいっぽう的に保証責任を負う債務負担行為ないし贈与の如きを「取引」と解することはあり得ないし、法文上もその根拠はないし、逆に本条第三項が「取引によらない債権又は手形小切手上の債権」も被担保債権と為し得ることを認めていることからもこれを理解し得ると思料する。
(二)右につき原判決は、
(イ)保証契約も信用金庫と取引先との間の信用金庫取引契約が継続する過程で直接締結される契約であるとされるが―保証契約は決してそんなものではなく、むしろ会社又は商人が信用金庫取引を為すについて会社代表者個人又は親戚友人(これらは信用金庫取引契約をしてない)を保証人として徴求していることが金融機関一般の実情であり保証人徴求の圧倒的ケースでなかろうか。
(ロ)保証契約は、保証人と主たる債務者との間での何らかの利害関係(親子会社、元請下請の関係等)が存在する中で……なされる場合が多くとされるが―これ亦前号に指摘したとおり、そう云う場合もあると思うが、「場合が多い」とお考えの根拠は不明であり、逆に金融機関一般の保証人徴求の事情は上告代理人(金融機関数社の顧問弁護士を三〇年余に及び担当している)の実務上の経験・感かくからも前号と同断で、数字的に表現すれば圧倒的に僅かであると信ぜざるを得ない。
(ハ)保証人と主たる債務者との間で、右のような特別な利害関係がなく個人的動機で保証がなされることも「ありえないでない」がとされる。―右(イ)(ロ)において述べたとおり、金融取引の実体を把握しない全くの妄断である。
かくて本件根抵当権の被担保債権に訴外人の債務保証に基く債権(保証債務)を含むとするは、事実を誤認して法律の解釈を誤っていると指摘する。
さらには、原判決は右(ハ)の場合について、「客観的かつ類型的に判断することが取引の安全に資する。」とされているのは、右(イ)又は(ロ)の判断について矛盾するところはないか少なくとも理由そごの説示認定である。
(三)商慣習について。
(イ)<書証番号略>を引用して、銀行や信用金庫等の金融機関が第三者に対する債権を担保するために取引先に保証を求めることは通常行なわれているとされる。斯る保証徴求が金融取引実務上行なわれていることは否定しないが、それが通常とはいかなることを指称されるか不可解である。
(ロ)右保証について、「銀行取引約定書や信用金庫取引約定書」に例示された「手形貸付・手形割引・当座貸越・債務保証」等の与信取引に準ずるものとして「その他一切の取引」に含まれるものと一般に解釈され取り扱われ、とされる。
一般にと云うが、誰がそのような解釈をしていると云うのか、―それは銀行サイドの一部の者が強弁しているに過ぎないものである。
さきにも指摘したとおり、被担保債権の特定として「信用金庫取引」なる規定がされた場合、本来的には「特定の継続的取引約定」なるものは被担保債権のメルクマールとなるものでは決してないし、又原判決が指摘される「その他一切の取引」なる包括的担保権の発生・成立はむしろ根抵当権として認むべきではないとして、民法第三九八条ノ二第二・三項が規定された以上、銀行サイドにおいては好むと好まざるに拘らずむしろ次のような担保の取得をすべきでなかろうか。
記録中の<書証番号略>不動産登記簿謄本参照。
①乙区第一一番昭和四七年四月一一日受付の根抵当権設定登記。
右は、上告人が本件物件を被上告人の訴外ナニワ理建の取引債務について担保提供した登記である。―金融機関は、保証徴求に際し保証人の不動産にも担保の効力を及ぼしたいならばこのように担保提供の方法によることが相当ではなかろうか。
②乙区第一二番昭和四七年八月一六日受付の根抵当権設定登記。
右は、訴外国民金融公庫が債権の範囲特定の一として保証取引を掲げている。
(ハ)すでに当該取引界における商慣習として定着していることが認められるとせられるが、挙示の<書証番号略>によってそのような商慣習の成立を認定し得るか問題である。
右<書証番号略>は、いずれも「特定の取引契約書」の条項を以て銀行(信用金庫)取引に担保取引が包含されるとするものであるが、いわゆる「銀行取引約定書」なるものは、いっぽう的に附合契約的な細かい印刷文字を羅列して内容の説明もしないで(おそらく銀行の取引担当者でもその内容を把握・理解は稀であろう)調印を求め顧客に写しも交付しないものである。銀行サイドが勝手な取扱いをして、一般顧客に対し説明もしないことがどうして商慣習を形成されるのか疑問に堪えない。
然かも、商慣習として定着しているとされるが、斯る実定法に反する慣習が時の経過によって定立―定着したのはいつか、本件根抵当権設定の昭和五五年三月にはどうであったか?
要するに商慣習の認定は、証拠に基かないし理由不備の断定である。
(ニ)原判決は、当事者の主張しない「商慣習」なる規範を以て裁断せられたが、この訴訟手続には審理不尽の違法がある。
①釈明権の不行使である。
②唯一の人証として、昭和六三・九・二六上告人本人尋問を申請した。
この申請は、原判決の云うが如く「本件の解釈にあたっては、当事者の意思をも重視すべきである」として為されたものであるが、裁判長は本件は、法律解釈の問題であるから取調べの必要なしとして最終的に却下せられた。
このような商慣習なる規範の適用を考えられるとすれば、当然に本人尋問の施行をすべきではなかったか。
ことに、<書証番号略>の登記簿謄本に乙区一一番に担保貸の登記が為され、その抵当貸登記が、昭和五五・三・二八抹消登記がされ(乙区一三番)同日を以て本件根抵当権設定登記が為された(乙区一四番)ことが明白であるからこの時における信用金庫側の説明や上告人の理解について。然かも、判決は「右のような商慣習がある場合には、当事者がこれを排除する旨の特約をした場合は格別」としている。―ならば何故に唯一の人証である上告人本人調をムゲに却けられたのか。この審理不尽については釈然としない。